Japan · 創世記2章15節
楽園なのに、なぜ人は働いていたのか?
仕事が罪の罰として始まったという理解は、この順番と合いません。
人間は堕落以前からエデンの園を耕し守るように置かれます。原語のアーバドは働く、仕えること、シャーマルは守ることと関係します。つらい労苦と、託された仕事そのものは区別しなければなりません。
3章で地が呪われ、働きには苦労が増えると語られます。だからといって勤勉さだけで救いを得るという教えにもなりません。本文の順番を丁寧に追うと、人間の価値を成果だけで決めない考え方につながります。
また、仕事と休息を対立するものとして扱う必要もありません。六日間の創造の働きの後には七日目の安息が続きます。園を守る責任が与えられたことと、あらゆる時間を成果で埋めることとは同じではありません。創世記2章が人間に示すのは、与えられた場所で誠実に働き、創造主の言葉によって自分の行動にも限界を設ける生き方です。
考えるための問い
「働くことの価値」と「働きすぎること」は同じでしょうか。
学びの方法
「神のかたち」「人を助ける者」「罪が戸口で待つ」といった表現を、専門用語の押しつけではなく日常語から入り、必要な原語を確認します。
資料と参考文献創世記2章 — エデン、労働、そして結婚 YouVersion — 日本語の聖書を探す ↗聖書本文は利用許諾のある日本語訳で読み、こちらでは箇所案内と独自の解説を提供します。著作権のある全文は転載しません。
一覧へ戻る